
イノ木の義民地蔵

江戸時代の初めのころ、各地の領主の治世は強権的であり、
多くの農民は塗炭の苦しみにあえいでいました。
慶安のおふれが示すように、
農民は最低の生活に甘んじて生きるよう、義務付けられていたのです。
それでも生きることが可能であれば、ぎりぎりまで我慢をするのが農民です。
それも限界を超えた時、農民は法度である直訴を行ったのです。
直訴は、死罪です。
それを犯してまでして村人を救った人達のことを
後世の人々は義民と呼び、長くその徳をたたえました。
有名な人々には、
若狭の松木荘左衛門
佐倉惣五郎こと木内惣五郎
磔茂左衛門(はりつけもざえもん)こと杉本茂左衛門
などの人達がいますが
この村の義民には、そんな逸話として残るような有名人はいません。
それでも今でも子孫や縁者の人々によって感謝と徳を讃えられ、
供養が続いているのです。

それにしても19人とは凄惨です。
蓮花寺では戦没者の慰霊碑と同列で供養塔が並んでいます。

こちらは妙法寺の義民地蔵
もとは別の場所にあったものを移設したとのこと。
