
秦の始皇帝は、優秀な騎馬軍団を用いて中国初の皇帝となった。
漢の武帝が西域を攻略した目的は、大苑の汗血馬を得るためだったとも言われている。
西域天馬歌
天馬来る 西極よりす
万里を経て 有徳に帰す
霊威を承りて 外国を降す
流沙を渉りて 四夷服す
かように古代における馬の威力は絶大であった。
と、前置きが長いが
生喰を輩出した地は、ここがそうなのだという所がいろいろ伝わるようだが、名馬を生んだ産地ともなれば、その地の馬の商品価値が高くなるので、われもわれもとなったのだろう。その中でもわりと本当っぽいのが、大田区のあたりだ。
伝承地である洗足池へ行ってきた。


立派な像もある。名前も池月で、洗足池らしい当て字になっている。

やはり磨墨もこの地の馬込と関係があると伝わるようだ。
馬込の磨墨塚(南馬込3-18-21)

梶原景時の墓

磨墨(するすみ)像

近くには源氏と関わりの深い旗岡八幡宮(旗の台3-6-12)がある。

頼朝にとっては縁起ものの神社なので、この地の名馬を自分用の馬としたというのも、つじつまが合う。
