昭和17年7月25日 東部第六十二部隊に召集
昭和十七年七月二十五日臨時招集ニテ東部第六十二部隊ニ召集同日陸軍機密第二五四号ニ依り補充交代要員トシテ東京出発
昭和17年7月25日同日東京出発
昭和17年7月27日宇品港出帆
昭和17年8月2日呉淞に上陸江湾兵営着
昭和17年8月9日飯田桟橋出航
昭和17年8月13日揚子通過 部隊宿舎に到着
昭和17年8月16日同地発
武昌に一泊
昭和17年8月17日任地岳州着 第九十大隊第一中隊に編入
中支派遣 峯八一○五部隊 第九十大隊第一中隊に編入
以上が祖父の軍隊手帳に書かれていた任地までの記録だ。
(注)
東部第六十二部隊(当時東京の赤坂にあった部隊)
宇品港(広島の港)
呉淞(上海の港)
飯田桟橋(上海の揚子江の桟橋)
招集令状が届いてから2,3日後に入営しているので
あわただしい日程だったことが想像できる。
普通の日常生活を送っていた者が、命令とはいえ
いきなり2、3日後に軍隊に来いと呼び出され、
そのまま最前線へ向けて出発したのである。
戦時中とはいえ理不尽なものだ。
おまけに祖父はこの時47歳
戦前であることを考えると年寄とも言っていいくらいの歳だが、
後方勤務ではなく、最前線へと送り出されている。
しかも歩兵なので任務には相当な体力が必要だ。
小銃や弾薬などの他、背嚢など
かなりの荷物を背負っての行軍となる。
現代人ならすぐにネを上げてしまうことだろう。
祖父はもともと歩兵第一連隊の所属だったので、伯母はこのことを、歩兵第一連隊が起こした二二六事件のせいだと今でも思っている。(二二六事件を起こした部隊はその後最前線へ送られ多くの兵が戦死している。)
その後の祖父の任務がどんなものだったのかは、記録にない。
ただ、任地の岳州から、家族一人一人にはがきが届いている。
昨年そのはがきを伯母に見せてもらった。
はがきの内容は次のようなものだった。
「うるさい父親がいないからと言って、仕事を怠けてはいけませんよ。
お金は少しずつ父が送りますから、正月には母に言って良い着物を買ってもらいなさい。
小さい弟達は叱らないでよく面倒をみてやりなさい。」
父親らしい家族を気遣う優しい内容の手紙であった。